震災から8か月の仙台を訪ねて
11月13日(日)~14日(月)と仙台へ旅行に行ってきました。
主たる目的は、震災に遭われた妻の母方に当たる親戚を訪ねるため。
仙台空港に降り立つと、震災の爪痕をかんじさせないような、見事な復興ぶり。
しかし当日は、3mに及ぶ津波が押し寄せたとのこと。
空港の1階にある柱には、その目印と「仙台復興の歩み」の写真が掲示されています。
仙台空港の完全復旧まで、わずか4ヶ月。掲示してある写真や、後ほど乗り込むタクシーの運転手さんによると、とにかく米軍や自衛隊の迅速な支援が素晴らしかったとのことです。
仙台空港の売店で目についたのが、震災関連のドキュメンタリー写真集の数々。タクシーの運転手さんは数冊手元においており、また親戚の家でも1冊目にしました。
地元の人々にとっては思い出すのもつらい災難ではありますが、「あの日」・「あの時」をいつまでも心のどこかに留めておきたいという思いから、これらの冊子を手元においているのでしょうか。
ひとたび仙台空港を出ると、あちこちに地震と津波の爪痕が目につきます。
今は名取市に仮住まいしている親戚のもとへ向かうため、タクシーに乗り込みました。
運転手さんからは道中に、この近辺の被害状況や復旧における米軍や自衛隊、ボランティアの方々の献身的な働きぶりについてお話をお伺いすることができました。
親戚の家に到着。一家は奇跡的に全員無事、震災当日は津波による浸水から逃れるために屋根裏で一晩を過ごし、翌日は3㎞離れた避難所まで移動したとのことでした。
84歳になるおばあちゃんが食事中、「家族がこうして一緒に暮らすことができることが、一番の幸せ」としきりにお話していたことが、とても印象的でした。
伊達家400年の治世でビクともしなかった仙台城も、今回ばかりは無傷とはいかなかったようです。
海岸線に沿って高速を走る中、窓の外からも被害状況が見ることができました。
高速を降りて海岸付近に向かうと、ますます被害の深刻さが目に飛び込んできます。
道中、地元の方々ががれき撤去に励んでいました。
海岸間際に位置する墓地も、下のようなありさま。
墓標に刻んである「やすらかに」の文字が、胸に響きます。
当日の津波のすさまじさをうかがい知ることができます。
海岸沿いにレールが敷かれている常磐線。復旧のめどは立っていません。
駅舎には明かりがついていました。
窓には封がしてありましたが、清掃はしっかりなされていました。
比較的温暖な気候から、「宮城の湘南」と呼ばれたこの地域。
明かりが消えてしまえば、人は戻らなくなる。
いつの日か再開することを願って、明かりを灯し続ける浜吉田駅の姿に、東北復興に向けての力強い決意を見た気がしました。
↓「いよっ!その通り!」と思ったら、下記へのクリックお願いします。
↓「なかなか鋭いね!」と思ったら、下記にもクリックを!
『中小企業診断士えんさん』の公式サイトはこちら