【勝手にファミリーヒストリー】遠藤家のルーツについて、ここに記しておいてみる。
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久々のブログ更新。本日は趣向を変えてお送りいたします。
個人的な出来事として昨年12月に父が他界。自分自身のルーツについていっそう興味・関心が高まってきました。
幸いなことに、母親がわが家(遠藤家)の家系図をワープロでまとめてくれていました。その家系図がこちら。一番下の手書きの「久志」が私です。
家系図の始まりが、「慶胤(よしたね?)」とあり、こちらが「領下遠藤家の祖」とあります。
「遠藤慶胤」という名前をネットで調べてみると、郡上八幡城初代城主となった遠藤慶隆の弟が出てきます。ただし、こちらの慶胤は16世紀(1500年代)半ばに生きた人のようで、同姓同名の違った人のようです。
ただし同じ美濃の国なので、何らかのつながりはあるかもしれません。郡上遠藤家の家系図を見ると、「慶」や「胤」の字がいくつか見られますので、まったく関係ないとは言えない印象です(あくまで印象ですが)。
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わが家の家系図によると、遠藤慶胤の名の横に”1490年”とあります。たぶんこれは没年で、その横に「土岐政房歌師」とあるので、遠藤慶胤は土岐政房の歌の師匠であり、重臣であったかもしれません。
土岐氏といえばご存知の通り、清和源氏の流れをくむ美濃地方の守護大名!
土岐氏は鎌倉時代から美濃地方の守護を務め、16世紀半ばに斎藤道三に追放されるまで、美濃地方を支配していました。
土岐政房は1457年生まれの1519年没ということで、家系図にある「1490年」と、遠藤慶胤が生きた時代と一致します。
ウィキペデアによると、すでに土岐政房の時代から「守護代の斎藤氏の力が土岐市の勢いを凌ぐほど」になっていたとのこと。土岐政房亡きあとは、長男土岐頼武と次男土岐頼芸の間で争いが起き、最終的に土岐頼芸が争いに勝ったものの、「下剋上」によって斎藤道三に追放され、鎌倉時代から続く土岐氏の支配は終焉を告げます。
もしかしたら遠藤家も、土岐頼武と土岐頼芸との内紛や、斎藤道三による土岐頼芸の追放によって、その地位を追われてしまったのかもしれません。
土岐氏といえば、来年(2020年)のNHK大河ドラマ主役は土岐氏支流である明智家出身の明智光秀!
2020年 大河ドラマ『麒麟がくる』の紹介文には、「美濃を治める土岐氏一族は内紛にことかかなかった」とあるので、大河ドラマの始まりにはわが家のご先祖さまも登場するかも!?
是非、そうした着眼点で来年の大河ドラマを見ていただけると嬉しいです。
それでは!
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