『ものつくり敗戦』を地で行くSONYに未来はあるか?
かつて、新しいものを生み出しては大手に模倣され、「モルモット」と揶揄されたソニー。創業者の一人である井深大は、この『ソニー・モルモット論』に対し、「決まった仕事を、決まったようにやるということは、時代遅れと考えなくてはならない。ゼロから出発して、産業と成りうるものが、いくらでも転がっているのだ。これはつまり商品化に対するモルモット精神を上手に生かしていけば、いくらでも新しい仕事ができてくるということだ。」と、むしろ「モルモット」と呼ばれることを誇りに思ったという。
http://www.sony.co.jp/SonyInfo/CorporateInfo/History/SonyHistory/1-08.html#module7
このように、先駆者精神あふれるソニーはいずこへ。「ソニーらしさを失った」と言われて久しいが、この春の新作発表のニュースを見て、その思いを新たにした。
その新製品とは、軽量小型の一眼デジカメというジャンル。「一眼レフ」と言わないのは、ファインダーに実像を写すための反射鏡(レフレックス)がないからで、それゆえ通常のデジタル一眼と比べて大幅な小型化を実現しつつ、レンズ交換式による高画質を実現している。
2010/2/22 『ソニー、APS-Cセンサー搭載のミラーレスαを年内に投入。』
http://dc.watch.impress.co.jp/docs/news/20100222_350569.html
なぜこれが「ソニーらしくない」かというと、すでにミラーレスのデジタル一眼は、ライバルメーカーが創出した市場であり、ソニーが今回発表した製品は、その後追いでしかないからだ。
このジャンルを切り拓いたのは、カメラメーカーではなく、家電メーカーのパナソニック。2008年10月、「女流一眼」というキャッチフレーズでヒットした「Lumix G1」である。デジモノオタク(?)のライターであるスタパ斎藤氏はGH1を絶賛しつつも、「こんな魅力的な製品が、パナソニックから発売されるとは!しっかりしろ、カメラメーカー!」と複雑な思いを述べている。
http://video.watch.impress.co.jp/docs/stapa/20090317_43448.html
そして,2009年7月、今度はカメラメーカーであるオリンパスから発売された「E-P1」が大ヒット。G1が、コンパクトとは言いつつも一眼レフカメラのようなボディの形状であるのに対し、E-P1はボディの凹凸が少なく、レトロな雰囲気の「レンズ交換式コンパクトデジカメ」といったたたずまいが印象的である。
宮崎あおいによるCM効果もあって、オリンパスの「PEN」を懐かしむ往年のマニアのみならず、女性を中心に新たな需要を開拓。「日系MJ」のヒット番付にも掲載されるヒット商品に育った。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0912/02/news044.html
それでもって、今回のソニーの新製品。小型のボディながらフルハイビジョンの動画撮影ができる、といったスペック的な優位性はあるものの、「LUMIX G1」や「OLYMPUS PEN E-P1」のような、新機軸を打ち出したというインパクトはまったくない。
本日の日経新聞を見ると、さらに気になる記述を見つけた。「LUMIX G1」や「OLYMPUS PEN E-P1」は、「マイクロフォーサーズ」という撮像素子とマウント径の規格であるが、何とソニーは「独自規格」で製品化するという。
昨日の記者会見によると、「撮像素子にはAPS-Cサイズ(24×16mm)の「Exmor APS HD CMOS」を採用する。先行するマイクロフォーサーズ機と同様のミラーレススタイルながら、撮像素子の面積の広さで上回る。」とのことだ。
http://dc.watch.impress.co.jp/docs/news/20100222_350569.html
いくらスペック上で上回っても、自社製品でしか通用しない「独自規格」を、凝りもせず発表するソニーの発想に、頭を抱えざるを得ない。次世代ポータブルオーディオプレーヤーの覇権争い、「独自規格」にこだわってiPodに完敗した教訓を、ソニーはどこまで真摯に受け止めているのだろう??
昨年読んだ本の中で、特に印象に残ったものの一つが『ものつくり敗戦―「匠の呪縛」が日本を衰退させる』であるが、今回、『ものつくり敗戦』を地で行くソニーの企業体質を見て、暗澹とした気持ちになったのは、私だけではあるまい。
参考ブログ)
2009年7月29日 (水) 『ものづくり敗戦』
http://noir-kuon.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-8ba4.html
以下、転載。
「日本人には、つくった人間の汗と苦労の結晶である”もの”を人間よりも崇拝するという倒錯が見られ、それが規格化・互換性を阻んだ。また、日本の兵器の開発は、直接的な性能の向上に重きを置く”直接性能主義”が幅を利かせ、兵器の使い勝手、作り勝手、さらには複数の兵器を組み合わせることでの相乗効果を上げるようなシステムの視点に欠けていた。
ソニーが独自規格のこだわってiPodにシェアを奪われたことや、家電リモコンのボタンの多さなどは、まさに上記の欠陥を現代まで引きずっていることを、象徴的に表していると言えよう。
本書後半では、日本の科学技術産業が抱えている欠陥である、「普遍性への感度の低さ」、「見えないものを見る感受性の低さ」、「ハード偏重、ソフト軽視」を克服し、「複数の知から新しい知を創造する”知の統合”」、と「「モノ」重視から「コト」重視へのことつくり」を、日本の技術の政策目標としていることを提言している。」
↓「いよっ!その通り!」と思ったら、下記へのクリックお願いします。
↓「なかなか鋭いね!」と思ったら、下記にもクリックを!