『ものづくり敗戦』
「『トヨタ丸』は嵐の中の海図なき航海に出ました。」と、6月25日の新社長が就任早々に戦略不全であることを全世界に知らしめてしまったトヨタ自動車。このブログではたびたび、「日本を代表するエクセレント・カンパニー」と持ち上げられるトヨタ自動車の経営力に疑問を投げかけてきた。
2009年5月10日 (日)
トヨタの経営力って一流?
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2009年7月27日 (月)
『トヨタ土壇場』
http://noir-kuon.cocolog-nifty.com/blog/
5月10日のブログにて、「トヨタは自分のコントロール下にある”カイゼン”には滅法強いものの、自社のコントロール下にない不確実な未来に対して、鋭い洞察力を働かせることを得意としているとは言い難い。」と指摘したが、6月25日に行われた新社長の就任会見は、図らずもそれを証明することとなった。
このような「トヨタの弱さ」、というより「(一部企業を除く)日本企業が抱える弱さは何に起因するのだろう?」と考えていたところ、興味深い書籍を読んだ。
『 ものつくり敗戦 「匠の呪縛」が日本を衰退させる 』
木村英紀著(日本経済新聞出版社)
著者によると、日本の科学技術産業は、
・日本の技術は伝統的に人間を軸とした労働集約産業であり、産業革命以後の西欧技術は資本集約産業である。
・西欧の近代技術導入以後も、日本の労働集約型技術は生き残り、「道具から機械へ」の転換を実現する資本集約型技術に対し、「機会から道具へ」回帰する道を作り出した。
・労働集約型が根強く残った日本の技術は、大量生産・大量消費の実現に後れを取り、それが太平洋戦争における兵器の質的格差を引き起こした。こうした戦時の技術開発における構造的欠陥は、現代にも尾を引いている。
といった特徴を有しており、高度経済成長まではこれらは有効に機能したものの、現在はその遺産をほとんど使い尽くし、むしろその負債に苦しんでいると指摘している。そして、技術の軸足が「機械からシステム」へ移動する第三の科学革命においては、日本は決定的に立ち遅れている、と警告を発している。
第三の科学革命の前に、明治以後の日本の西欧技術の取り入れ方と、そこに見える日本の構造的欠陥の指摘は、なかなか興味深いものであったので、ここに要旨を列挙しておく。
・西欧は、時計から自動機械を生み、さらにそれがコンピュータの開発につながった。一方、日本は時計がからくり時計を生み、さらにそれが人形浄瑠璃を生んだ。いわゆる日本人の好きな「匠の世界」であるが、これは日本が質の高い労働力を豊富に有していたため、労働集約産業が発達したことが大きな要因である。
・太平洋戦争における兵器の質的格差は、日本の機械工業が「匠の世界」を保持したまま発展したことに起因する。兵器産業においても大量生産の前提である「規格化」が大きく遅れ、組み立てや仕上げなどは、熟練工に技術に依存しており、それが戦力の差になってあらわれた。
・小銃に限らず、機関銃についても、部品の互換性はないため、海軍だけでも30種類の機関銃が作られ、弾薬にいたっては120種類が作られたという。このような多品種乱造は生産の効率を下げただけでなく、使う側の練度向上の妨げや整備・補充の混乱にもなった。
・ゼロ戦は、日本の航空技術の一つの到達点を示すものではあるが、名人芸の設計を反映しきわめて複雑であり、一機作るのに多くの工数と熟練工を必要とした。さらに、仕様変更を行おうとすると設計すべてをやり直す必要が生じ、3年間仕様変更が行われなかった。
・日本人には、つくった人間の汗と苦労の結晶である”もの”を人間よりも崇拝するという倒錯が見られ、それが規格化・互換性を阻んだ。また、日本の兵器の開発は、直接的な性能の向上に重きを置く”直接性能主義”が幅を利かせ、兵器の使い勝手、作り勝手、さらには複数の兵器を組み合わせることでの相乗効果を上げるようなシステムの視点に欠けていた。
・情報技術に関しては、要素技術には十分な蓄積があったものの、それらを統合するシステム技術の未熟さが、その実用化を阻んだ。また、米英いくつかの重要な暗号解読にも成功しているにもかかわらず、それを冷静に分析して大局的に意味を読み取り、戦略決定につなげることが重要視されていなかった。
・また、日本軍というシステムの最大の欠陥である「陸軍と海軍のセクショナリズム」によって、両者は別々に兵器の開発・製造をおこなったばかりか、暗号解読技術も自前主義を貫いた。陸軍がアメリカ国務省が使っているストリップ暗号の解読に成功したものの、それが海軍に知らされることは、ついになかった。
ソニーが独自規格のこだわってiPodにシェアを奪われたことや、家電リモコンのボタンの多さなどは、まさに上記の欠陥を現代まで引きずっていることを、象徴的に表していると言えよう。
本書後半では、日本の科学技術産業が抱えている欠陥である、「普遍性への感度の低さ」、「見えないものを見る感受性の低さ」、「ハード偏重、ソフト軽視」を克服し、「複数の知から新しい知を創造する”知の統合”」、と「「モノ」重視から「コト」重視へのことつくり」を、日本の技術の政策目標としていることを提言している。
しかしこれらは、政府の政策や教育効果を待つまでもなく、各企業それぞれが克服すべき課題と言えるだろう。実はすでに、これらの欠点を克服した成功事例は日本にもある。そう、「DS」や「Wii」を生み出した任天堂である。
ゲーム人口拡大にために、「高性能を追わない」、さらには「お母さんに嫌われない」据え置き型ゲーム機の開発にあたり、本体はDVDケース2、3枚くらいの容積と決定。さらには『家族から嫌われないゲーム機」から家族全員に関係のあるゲーム機」を目指し、ワイヤレスでシンプルかつ斬新なコントローラーの開発など、日本メーカーの抱える”直接性能主義”を克服した好例と言えよう。
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